自然淘汰(しぜんとうた)はダーウィン進化論における最も重要な理論の一つです。現代においても、生物の進化を説明する上で基本的な概念となっています。
よく、「最も強い者でも最も賢い者でもなく、生き残るのは変化できる者である」というニュアンスの言葉がダーウィンのものとして紹介されることがありますが、これは誤りです。それに”変化できるもの”という表現も正しくはないでしょう。
この投稿を読んでもらえれば、それがわかってもらえるはずです。
ダーウィンは著書「種の起源」の中で、哲学者ハーバート・スペンサーの造語「Survival of the fittest」(適者生存)を引用して自然淘汰を説明しました。翻訳や引用の過程で少しずつニュアンスがおかしくなったのかもしれません。
また、この投稿は以下の動画を参考に説明を追加して作成したものです。
「変化を伴う継承」と「共通祖先」
自然淘汰の説明に移る前に、ダーウィン以前からあった進化に関する2つの概念、「変化を伴う継承」と「共通祖先」について簡単に説明します。

「変化を伴う継承」(Descent with Modification)とは、親が子供を産むとその子供は基本的には親と似ているけれども、少しだけ外見や能力、行動が異なるというものです。一般に”遺伝”と呼ばれるような現象で、これは我々人間でも思い当たるところがあると思います。

もう一つの「共通祖先」(Common Descent)というのは、全ての生物の祖先を辿っていくと最終的には一つの生物に行きつくという考え方です。これは化石や遺伝、生物種の分布などの研究から導きだされた概念でした。
しかし、この考え方は多くの哲学者や科学者によって否定されていました。その理由の多くは「人間は神によって生み出された」というキリスト教の宗教観によるものでしたが、理論的にも次のような反論を受けます。
まず、「変化を伴う継承」における変化の部分、つまり親から子が少しだけ変化する要素はランダムに起こると考えられていました。これは現代の遺伝研究においても概ね正しいと考えられていますが、それだけでは現実の生物に見られる理路整然とした複雑さは生まれないというのです。
生物の体や行動は極めて複雑でありながら、実に見事に環境に適応しています。恐らく単純な生命体であった「共通祖先」から、ランダムな変化を繰り返すだけでどうやってそこにたどり着くことができるのでしょう?
ダーウィンの発見

その答えを見つけたのが、チャールズ・ダーウィン(1809-1882)とアルフレッド・ウォレス(1823-1913)です。
ダーウィンは船で世界中を旅しながら、各地の植物や動物を収集し、記録していました。その旅の中で、ダーウィンは「共通祖先」説に強い関心を抱くようになったのです。
各地にある島々にはその島固有の動植物が生息しており、それらは地球上の他のどこにも存在しないにもかかわらず、近くの大陸に生息する動植物と見た目も行動も驚くほど似ていることが多いことに気づいたのです。

最も有名なのが、南米大陸から1,000km以上離れたガラパゴス諸島における事例です。外界から隔離されたこの島々に生息するカメは、アフリカのカメとは明らかに違いましたが、南米のカメとは大きさ以外ほとんど同じように見えました。
「共通祖先」説の問題

ダーウィンは、この類似性を説明できるのは「共通祖先」説であると考えました。
大昔、南米大陸にいた数匹のカメが嵐によって流された大木などに乗ってこの島までやってきたのでしょう。彼らは交尾をして卵を産み、徐々に生息数を増やしていきました。そして、何千年にもわたる「変化を伴う継承」によるランダムな変化を繰り返すことで、本土のカメと同じ種とは思えないほどの変貌を遂げたのです。
この考えは概ね正しいように思えたのですが、一つ大きな問題点がありました。ダーウィンが発見したガラパゴス諸島のカメは、本土のカメからランダムに変化をしたはずですが、島の環境に見事に適応していたのです。

ガラパゴス諸島は18の主要な島々からなり、その多くにカメが生息しています。そのうち、草木が生い茂る大きな島に住むカメの甲羅はドーム状になっています。
一方、小さな島々には草がほとんど生えていないため、カメはサボテンを食べています。こちらのカメたちは前足が長く、鞍のような形の甲羅は前方が反り返っていて、首を長く伸ばして高いところにあるサボテンを食べることができるのです。
そうです。まるでこの特殊な環境を生き抜くために造られた生物のように見えるのです。この造形はどのように行われたのでしょうか?
農民が行う「選択育種」にヒントを得る

この疑問に対する答えを出すため、ダーウィンは農業における品種改良の知識を活用しました。
農民たちは野生の動植物を採取し、何千年もの時間の中で「選択育種」というプロセスを重ね、人間の消費や環境に適した新しい家畜や野菜へと造り変えてきました。
その過程はゆっくりではありますが、やることは単純です。
例えば、一つの植物から採れた100個の種子を育てると、ほとんどは親とほぼ同じに育ちます。しかし、少数の種子はわずかに異なります。
その違いはランダムに起こっているため、その中には好ましくないものもありますが、逆に親よりも優れた性質を示すものもあります。例えば、葉が厚い、甘い、虫が付きにくいなどです。
農民はこうした良いものだけを選別し、次の作物の種子とします。こうして小さな良い変化が何世代にもわたって積み重なると、最終的には原種からは想像できないほど優れた野菜ができるのです。

ブロッコリー、カリフラワー、ケール、キャベツなどは、もともと同じ一種類の雑草を品種改良したものだと聞くと驚かれるかもしれません。
ここで重要なのは、農民は何かを生み出したわけではなく、どれを繁殖させ、どれを繁殖させないかを選択するだけなのです。
自然淘汰説への到達
ダーウィンは、自然そのものがこのような選択をしているのではないかという考えに行きつきました。
自然には「選択育種」をするような知性はないかもしれませんが、そこで生きる動植物に対して厳しい試練を課しています。
暑さや寒さ、彼らを食べてしまう捕食者、病気。自然の中で生きる生物は、これら様々な外的要因に打ち勝つことができなければ生き残って子孫を残すことができないのです。
親から生まれた子供たちはそれぞれがランダムな変化を持っていますが、彼らはその環境の中で生き残りやすい変化を持ったものと、そうでないものが選別されていきます。そして、何世代にもわたる選別が繰り返されることで、生物は環境に対する適合性を高めていったのです。
ダーウィンはこのプロセスを「自然淘汰」(Natural selection)と呼ぶことにしました。ほぼ同時期に同じような考えに行きついていたウォレスと共に、1858年の学会でこの理論に関する論文を同時に発表しました。そして1859年、進化論についてまとめた有名な著書「種の起源」を出版するのです。
それ以降、自然淘汰は多くの研究者たちによって研究され、研究室での実験や自然界における観察調査によってその正しさが確認されてきました。
自然淘汰をおさらい

では、最後に自然淘汰とは何かを簡単におさらいしておきましょう。
- 「変化を伴う継承」により、生物には世代を重ねる中でランダムな変化が生まれる
- 厳しい環境(自然)の中では、有益な変化を持ったものが選択される
- これらを積み重ねることにより、環境に適した形態へと徐々に姿を変えていく
いかがだったでしょうか?ダーウィンの鋭い推察は、人類に生物の進化を説明する大きな手掛かりを与えてくれました。その後、メンデルによって遺伝に関する理論が発表され、そこから遺伝子の発見に至り、ダーウィンによる進化論も遺伝子の知識を含んだものへと進化していくのです。
reference: What is Natural Selection? – YouTube、自然選択説 – Wikipedia、種の起源 – Wikipedia

ダーウィンの進化論にはもう一つ「性淘汰」という重要な概念もあるが、それはまたいずれ説明するぞぃ
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